溜息集積場 出張所

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「天気の子」と怪獣優生思想の話(ウルトラマンブレーザー第7話感想補足)

日中に意味深に書いてた記事1本目。

タイトルの時点で何を言ってるんだお前はと指摘されそうな気がして仕方がない組み合わせですが、先週のブレーザー感想……ブレーザー感想かあれ?で、怪獣優生思想に関してまとまった話をするなら書こうと決めていた話のうち、アカネさん・モンスターバースに関してある程度は書いて、はー満足したとそのまま締めてしまい約1週間経った昨日、「1番書こうと思ってた『天気の子』の話忘れてんじゃん!!!!!!!!!!」と急に思い出したんですね。んで1週間経っちゃったし元記事であるブレーザーの方は8話がもう放送されちゃったし

宇宙船別冊グリッドマンユニバース ざっくり所感

accumlater.wordpress.com

昨日は昨日でグリユニ宇宙船別冊の感想書いてたら時間設けられなかったしで急に独立して書こうかなという。

天気の子、毀誉褒貶が大変激しい作品というのはあり(管理人は誉褒の方)去年11月のTV放送時も相応に荒れているなーと感じたのですが、当時その中でふと

「もしかして怪獣優生思想(公開時はまだこの名称はないけど)に関する知識や認識があるかないかであの捉え方って全然変わるのでは?」

という(半分ヤケクソめいた)閃きがあったんですよ。加えてその前提をもとに、当時公開されたすずめの戸締まりを見に行ったら意外にも納得できるものだった。とはいえ1人で納得しただけで特に何も書いておらず、なんか機会があったら……と思っていたところに機会が来たので書いています。いや先週忘れてたんだけどさ……。 あと11月当時の再放送をちゃんと見てなくて、2021年1月に見た記憶がベースなので記憶違いがあるかもしれずそこはご了承を……(前提が全部ひっくり返るような記憶違いあったらどうしようね)

なんの説明も前提もなく話進めていても正直なんのこっちゃという話になりそうなのでまず前提を置くと、

  • 天気の子作中において神(という呼称だったかはともかく、そう扱われるアレ)とは怪獣そのものであり、エピローグはつまり首都圏の人々が怪獣と共生している/せざるを得なくなった光景であると言える
  • 作中の登場人物は無自覚かつ軽度な怪獣優生思想を(なぜか)強いられており、ハナからあの怪獣を殺すという選択肢が(なぜか)ない
  • あの神、上限まで見積もってペギラ程度の能力しかないので殺せば殺せるように見えてしまう
    (一応接触方法が限られるけどそんなんどうにでもなるだろ……)

といったもので、引き合いに出したペギラファンの皆様には申し訳ないんですが、この辺が混ざり合った結果、帆高どころか作中の人物、世界観そのものが「神(怪獣)を殺すという明らかに手っ取り早くて作中でリスクが示されていない手法を誰も取ろうとすらしない」、少なくとも陽菜の体質・能力という面の問題の根幹に対応する気がないままあの最後に到達したように見えてしまっている(加えてそもそもこの論の前提になる「天気の子は怪獣映画である」という認識自体がごく少数の観客しか受けないだろう印象なのでそこが異様に見えにくくなっている)のが毀貶のうちの幾らかに入っているのではないか?と感じるんです。それって「あの映画の世界観が(なぜか)怪獣優生思想の下にあるよね」という視点があれば多分相当に軽減されるはず。
(もちろん観客のみなさん全員に話を聞いたわけじゃないので、天気の子を見た方々の8割9割が正しくあれは怪獣映画だと認識されているのかもしれませんが……)
「いやこの論点に関しては特に気にしていないんだけど、他の展開や演出面に関してちょっと……」という方々に関しては申し訳なくも今回の管轄外なのでご了承ください。この管理人怪獣の話しかするつもりないから……。(もちろん毀・貶だからといってその印象を否定するつもりもないし)
あともう一つ、前提3つ目の表記である程度お察しいただけるかもしれませんが、あの怪獣生贄求めるくせにやってることのスケールがあまりにもみみっちい、これを書く理由になったのがよりにもよって1週間もあれば暴風雨で国土を洗い流せたであろうニジカガチなだけに、同系統の能力で2年以上経過してもなお首都圏を水没させることすらできないという中途半端さ、その程度の怪獣を仮にも神扱いしているという作品そのものへの疑義も反発の理由になっているんじゃないかと疑っている部分はちょっとあります。神をやる気がないなら帰れというか。
一応この辺、ちょっと好きな拡張ができる面もあって、何かというとDYNAZENON作中でナイトくんが言い、管理人がものすごく好きな認識でもある「怪獣が現れる世界にはそれに対応した抗体も現れる」という論、実はあれだけでは不完全で「抗体が現れなかった世界、対抗する者が現れなかった世界における怪獣は神と誤認される」のでは、その証明としてあの中途半端極まる怪獣が神だとされ、人間側が誰もそれを殺せない・殺す発想すら抱けないという世界観があるのでは……と思えるところ。ナイトくんの言ったこれはあくまでGRIDMAN  UNIVERSEでしか成立しない話なのではという可能性は無視する。
あとすっごく雑な話ですが、天気の子に関して特に賛の立場にいる方々って怪獣優生思想の方が多いよな……というかなり漠然とした印象論から逆引きした部分もあります。とかくあの映画、「怪獣優生思想を知らない人に『怪獣優生思想とは何か』を認識してもらう(理解はしてもらわなくてもいい)」ことに、ゴジラKOMと並んでうってつけの映画なんですよね。

こんな理由があり天気の子を契機として、作品そのものというよりはむしろ新海誠監督自身が実は怪獣優生思想(怪獣よりもうちょっとでかいカテゴリである可能性はあるけど、とにかくそれに近いもの)なんじゃないか?という疑いを一時期持っていたんですが、その分ちょっとびっくりしたのが次作・すずめの戸締まりでの見せ方の隙のなさ。
すずめの戸締まりにも怪獣/神と扱っていいだろう『ミミズ』が出てくるわけですが、これ周りにおいては「ただ殺せば問題が解決するわけではないと言外に表現された種々の演出」「それを前提として全力で止めようとする登場人物たち」「人間にとって比較的都合のいい怪獣と悪い怪獣がいるだけで彼らは根本的に斟酌してくれない」という要素をガッツリ詰め込んでいて、怪獣映画としての説得力を十分以上に高めていたんですよ。同時にこれらを詰め込んで見せてきたすずめの戸締まりという映画の内容そのものが「これを世に出す監督は怪獣優生思想ではあり得ない」と納得する他ないものになっていて驚かされました。個人的にはミミズのデザインをゴジラ怪獣惑星シリーズ、及びこれから配信が開始されるガメラリバースの瀬下監督が手がけられていたことにやたら納得した部分もあり。ガメラリバース試写会結局色々考えて行かなかったのですが、評判は上々なようなので見られる機会を楽しみに待ちたいですね。

以上の話から天気の子では(結果的に)「どれほど中途半端に見える個体相手でも怪獣に傅かざるを得ない理不尽」を、それを踏まえたすずめの戸締まりでは前作で歪な形となった怪獣映画としての魅力の面を正当に強化し見せきってきた新海誠という監督、実は今、日本で1番ゴジラ作るべきなんじゃないかと思ってます(田口清隆監督と佐藤高成監督は殿堂入り、及び中川和博監督は一部実現済みなので除外)
この記事では前提としてこの2作を怪獣映画というカテゴリで扱いましたが、世間的にそうだと思われているか?といえば流石に怪しいわけで。それをこの国においてはほぼ唯一「誰が見ても怪獣映画だと認識できる」シリーズとして、あの作風が「ゴジラ」と接続されたらどうなるか、圧倒的な怪獣の脅威というものをゴジラの形でどう表現するのか。興味本位と言われればそれまでですが、実現できないわけではない範疇でとんでもないものを見せられるのでは、とちょっと考えています。貴ちゃん呼べるなら新海監督も呼べるでしょ……みたいな思いもある。言うだけならタダだし。
とか書いてたらあと2日でゴジラマイナスワン予告解禁ってマジ?

そんな感じで、ちょっと書き切れたか/通じるように書けたか自信がありませんが、怪獣優生思想の話をするにあたってやっておこうとそこそこの期間考えていた最後の話を急に補った内容でした。かなり無理矢理まとめてしまったので自分でも散らかってるなと自覚はしてるんですよという言い訳……。
これブレーザー感想の中に突っ込んだらもうちょっと分量減らせたな……とちょっと思っていますが後の祭りであり、その場合もっと雑な論になってたろうなとも。
そして冒頭に挙げた「二つ目」はもう今日は諦めることとします。本来明日書く方が正当な話でもあるので……。
(追記)延期することにしました。そもそも大した話ではない(はず)だったのでいつやるかも未定です。