溜息集積場 出張所

現在の運用方針はTwitterの代替が主です。仮運用中のため本ブログとの混線が認められます。

「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」 見てきました(感想追記)

先日

accumlater.hatenablog.com

ノベライズも読み終えて準備を整えていた「鬼太郎誕生」、無事初日のうちに鑑賞できました。
語彙のない表現になりますが、いやすごかった。6期を基本にしつつ独自性をかなり引き上げ、TVシリーズでも「かつての鬼太郎の父」を描いた古賀監督の絵作り・吉野氏の脚本による劇場向け・PG12指定作品としてこれほどのことができるのか、という印象が強い、強烈な一作です。6期鬼太郎がお好きであれば是非見ていただきたい。ご覧でない方にも是非見ていただきたい。
古賀監督に関しては鬼太郎以外の過去作でのお仕事も少し見ていたので、その面での意外さもありました。
詳細は明日以降に時間を設けて改めて書きたいところです。ブレーザー感想とどっちが先になるかな。

f:id:accumlater:20231117223713j:image 

これは単にTOHOシネマズのロビーでまだ目立っていたから、という理由で撮ったら実はめちゃめちゃ文脈が発生していた写真。
ゴジラ-1.0見た人たちも鬼太郎見てくれよな!!

あとこれは完全に自業自得な話。見終わった後でパンフ買えばいいかなー、と思ってたら、なんと売り切れてしまいまして(鑑賞前にはあったんですよ……)
でも単に立地の問題で入荷数が少なかったのかもしれない、一応上野にも行けるし行ってみるかと若干余裕な心持ちで行ったらこちらも売り切れ。
これ本当に捌けているのでは……!?出した数がそこまで多くなかったとしても、予想を確実に上回る数が売れたと考えると、それに相応しい内容ではあったのでちょっと嬉しい部分ではあります。
とはいえ管理人自身は結局入手できず、さりとて時間的にさらに別の劇場行くのもなあ……と思って、代わりに何をしてきたかというと。

f:id:accumlater:20231117223726j:image

宇宙人と特殊部隊の部隊長が密会していたという疑惑が発生している喫茶店を外から見てきていました。
……流石に写真撮るだけってのもどうかと思うんで、本当は入店したかったけど流石に閉まってましたね……。

それはそれとしてどうにかしてパンフを入手せねば。それでは感想予定地としてはこの辺りで。

(順番が前後する11/19追記)

f:id:accumlater:20231119204127j:image

入手できてしまいました。

各所売り切れの話ばかりが出てきている(それ自体は大変喜ばしいことなのですが)中、何故入手できたかというと

f:id:accumlater:20231119204245j:image

有楽町で開催されているグリッドマンワールドの2回目に行ってきたためです。

多分これだけ書き残しても意味不明なんですが、ここに詳細を書き始めるとそれはもうグリッドマンワールドの話になってしまうため、こちらにある程度の事情を書いておくこととします。この後の感想本文も併せてやたらにSSSS.濃度が濃い記事だなこれ……まあ確かに2018年にTVシリーズやって2023年に映画やってるという共通点はあるのですが……。

(11/18 ここから先、「続きを読む」以降に感想を追記しました。鑑賞を前提とした内容となるため、できれば鑑賞前にはこの先を読まれないようお願いします。というかできれば早く見て

ということで鑑賞後1日置いての感想です。……の前に。まず最初に今回見に行ってきたある意味最大の理由からお話ししたくて。

もう5年前となる鬼太郎の6期を見ていて面白かった、というのは大前提としてあるのですが、それと同等かそれ以上の理由があったんです。何かというとキャラデザおよび作監が谷田部透湖さんであるという点。
谷田部さんといえばシンエヴァの副監督やチェンソーマン・モブサイコ100等へのコンテ参加、6期鬼太郎EDコンテなどなど、印象的なお仕事は多々あるのですが、管理人としてはもちろん

youtu.be

youtu.be

このとんでもねえSSSS.GRIDMAN/SSSS.DYNAZENONのEDをコンテ演出担当の中村さんとお二人で担当されていた、あの映像の片棒を担がれていた方なわけですよ!!(片棒言うな)
そういうわけで主にDYNAZENON以降(GRIDMANおよび鬼太郎6期当時はあまり追えていなかったので)Twitterで時折拝見していたところ、今作の制作が発表される前からファンアートをドカドカ描かれるほどどうやら猛烈に鬼太郎がお好きな方らしいということを知っていまして。その上で本作の制作を知ったので、これはもう見に行くしかあるまい、と思わされたという前段階があったんです。
そんでもって見に行っての印象。素晴らしかった。
管理人、清水さんによる6期鬼太郎キャラデザの特徴って「鋭利さ」だと捉えていて。それはキャラの表情が鋭いとか冷たいとかいった意味ではなく、「刺しこんでくるようなエッジの効いたラインによって構成されている」とでも言うんでしょうか。そういう印象を受け取っていたんですね。
それを踏まえた今回の谷田部さんによる再構築は、6期の彼らの印象を受け取りながら、3期・4期あたりの少々丸みのある表現を取り込んでいるように見えて、6期の鋭利さと、より過去シリーズの柔らかさが共存しているように感じられました。その複合感と、一見柔らかくなった印象によって、本作の陰惨さ・ろくでもなさ、そしてその裏返しとなる、忘れてはいけない願いの切実な質感が、より鮮烈に引き立ったように見えます。
……管理人、グリッドマンユニバースに(いわゆる「ED映像」がないことを差し引いても)谷田部さんがご参加いただけなかったことを結構残念に思っていたんですが、こんなとんでもねえ映画の総作監をされていたらそりゃ無理もないな……と思えるほどの内容だったので、そういう意味でも心残りが成仏した体験でありました。初週配布プレゼントも含め、素晴らしいお仕事でした。
あと公開日当日に中村さんが「実は参加してました」と言われていたことに勝手にちょっと笑ってしまったのは無理もないことだと思うの。中村さん個人のお名前は見れなかったんですが、エンドロールの協力に載っていた「トリガー」の文字列はしっかり見つけてしまいましたね……。
ちなみにもう余談も余談ですが、記事冒頭の写真に写っている「特別ご鑑賞券(つまりタダ券)」はグリユニMX4D上映時の座席設定トラブルで頂いたものだったりしたので、なんかもう心理的にはTRIGGERに囲まれているような状態で観ていたことも付記しておきます。なんの話だ。

いきなりスタッフさんの話をしてしまったので内容について。
本作、ろくでもない閉鎖環境において人はどれほど腐敗していくのか、ということをまあ本当にみっっっっっっっっちり描いてくる作品で、それがどれほどのものかと言うのはここで言葉を重ねるよりも見ていただく方がよく、鑑賞された方には説明不要かと思うのですが。絵に描いたような俗物である人たちの方が、あくまで比較論になりますがまだマシだっていう……。
あえて触れるとすると、PG12指定にまでして強調したかったのは「去ることを拒む老人」の醜悪さであり、そのために一族の血統の保持(もっと言うと××××)を見せたかったがゆえなのかなあ……ということを感じました。まだパンフ入手できてないので、あくまで想像ですが。
流血表現や残酷表現は確かにそれなりにあるんですが、それ以上に性の表現を絡ませるところを外したくなかったのではなかろうか、と。自分の血統、入れ物となる者たちに「時」を絡めた名前をつけてるのって、肉体と時を超えてでも存続しようという執念としか思えないんだよな。その醜さは、引き受けなくても良い恨みを自分で一身に引き受けて、「ただ目だけを残し、息子たちの生きる時代を見るだけでいい」と選んだゲゲ郎の対極であり。
ホントクライマックスの時貞翁がかなり最悪で、よくぞまあここまで……という思わされると同時に、提案されたことはどれも彼が自覚していた願いに近いものだったはずなのにそれを「つまらねえ」と切り捨てられる水木の姿の対照性が見事すぎました。

序盤から強調されていた点として、水木の職場、汽車の中と、今の視点で見ると驚くような「当時感」としてタバコが小道具として使われまくるのがかなりクール。汽車で咳き込む少女と、それに気付きながらも水木自身は「当時のサラリーマン」として標準的であり、疑問を特に抱いていないという見せ方に「村以外の場所も大小はあれ『昔』なのだ」という意図を感じた部分です。
そこと関連して、主に水木の回想になるのですが、時代感として当然ながら、戦争の匂いが未だ染み付いている時期を描いているもので「この構図なんか2週間前に見た気がするんだけど!?」という要素が予想以上にあって、面白がるというよりは興味深かったです。「誰かが貧乏くじを引かなくてはいけないなら、自分がやるべきなのだ」の精神も通底している内容でしたし。
鬼太郎(原作者の水木先生)もゴジラも、根本的にその時代に生まれたものなので、原点の時代に目を向ければそうなるのは必然なんですが。
戦場で生き残ってしまっただけで前線にはいた水木が/そもそも戦場に向かえなかった・しかし別の地獄を見た敷島が「終わらない戦争の影」を振り払う姿を今届けなくてはいけない、と感じられたスタッフがそれぞれにいらしたんだろうなあと。
ところで今作、直接的に描かれている太平洋戦争より前、日清・日露戦争の裏側で起きていた事態にまで波及してくるわけで(作中で言及されたのがそこまでなだけで、もしかするとさらに過去、戊辰戦争やらなんやら……に遡る可能性もある)「敗戦が汚点なのではなく、そもそも起こすことが汚点なのだ」という部分にまで踏み込んでいたように感じます。

記事最初に書いた通りノベライズをごく最近読んでいたこともあって、「生まれることすら許されなかった」名無し、「生まれたこと自体が老人の狂った計略の一つでしかなかった」時弥くん、そして「生まれることを望まれながらもあのような形になった」鬼太郎……と、TVシリーズとも激烈な対比を効かせているようにも感じました。
時弥くんの願いのあまりのささやかさ、鬼太郎がする約束を聞くと、彼らの意思の輝きを尊重したいと同時に「やらせとけそんなもん!」と言い切った水木も正しかったな、と感じてしまう。ゲゲ郎の姿として時弥くんに「あの時望んだ未来は来なかった」と謝るおやじさんの姿、謝らなくてはいけないのはおやじさんでも水木でもないはずなのにね……。

ちょっと意外だったのが、現代のゲストキャラとしてごく短時間出てくる山田、私利私欲のために出てくるタイプの人物かと思えば、一応私欲はあるとはいえ彼の思惑とおやじさんたちの利が一致することで、ある意味で「語り手」「誰かが覚えていてくれるきっかけを残せる人物」として扱われていたところでした。絶対なんか酷い目にあって助からない枠だと思っていたのに……。
あとのことは彼の誠実さにかかっているのでしょう。実は原作でもう酷い目に遭うことが確定している枠だったらすいません。原作疎くて……。

原作の話になったので最後にそれ関連の話を。今回の映画、タイトルからして「鬼太郎誕生」を描くもので、一方鬼太郎の父や霊毛に関してなど、これまでに明かされていて、かつそこまで熱心な読者・視聴者ではない管理人(ちゃんと見たのって6期ぐらいなんです)ですら知っている基本情報と、「一見」違う様々なビジュアルや設定、情報があって。じゃあこれってどうなってるの?……ということへの目配せ、説明、開示を、単なる設定開示に留まらず、絵的な魅力を2重3重に用意して(鬼太郎の母に関してはある意味で「見たくないもの」という方向まで絡めて)終盤どんどん畳み掛けてくる手腕にかなり脱帽しました。
恥ずかしながら管理人、「鬼太郎の誕生」も「墓場鬼太郎」もろくに見てこなかったのですが、それでも「ああっ、これ多分見てた人にはたまらないやつだ!!」と思わされる要素が怒涛のように来るもので、いい意味で唖然とした。特に「霊毛ちゃんちゃんこは祖先が最期に残す毛一本一本で形作られている」という設定、失礼ながら「ちょっと気の長すぎる話だな……いやでも妖怪にとっては些細なことなんだろうな……」と感じていたので、今回「ちゃんちゃんこの縞模様」の意味まで含めて、あんな形で見せられたらもう降参です。使い道がないのに公式グッズであるフォンタブを買ってしまうところだった。いや、正直買ってくればよかった……
考えてみれば、もうあれだけとんでもない鬼太郎フリークである谷田部さんがこれだけ入魂されて全編に手を入れられた作品なわけで、その辺蔑ろにするわけがないんですよね。

本作、公開前はかなり情報を絞っていて、かつその絞り方は的確に感じられるものだったな……と感じます。ここまで読んでくださっている方はもうご覧だろうという前提で書いてしまいましたが、できれば鬼太郎を見ている・見ていないに関わらず、多くの人に見てほしいんだよな……可能ならゴジラ-1.0と連続で・映画館で見てほしいんだよな……。どうやったら広められるんだろうか(見てることを前提の話ばっかりするので見てない人への広め方が全然わからないおじさん)

本当は古賀監督の過去作(ドキドキ!プリキュアデジモンユニバースアプリモンスターズが好きなもので)とか、踏み付けにされた若者・女性としての沙代嬢なんかについても書くべきなんですが今回はここまでとさせてください。仮に2回目を見てきたりなんか別の機会があったりして書けそうならばここに足したいところです。……ゴジラも鬼太郎も2回目見たいんだけど、揃って2回目見るのにめちゃめちゃ体力と覚悟のいる作品なのがネックですね……。

というわけで鬼太郎誕生所感でした。直近TVシリーズが好きで、かつスタッフの皆さんも好みの方が揃っていて高まっていた期待をさらに飛び越えてくれた、見応えのある映画作品だったと感じます。年齢指定を若干引き上げたことで明確に陰惨さを増し、しかしそれはただの猟奇趣味に収まらず、鬼太郎の世界観の下で人のどうしようもなさ、醜さ弱さ愚鈍さ、見限られてもしょうがないと思わせながらも、その弱さを見捨てないひとたちもいることを描くために必要だったと信じられる内容になっていたかと思います。古賀監督、吉野さん、谷田部さん、もちろん他スタッフの皆さんに関しても、今後のお仕事への期待が高まる内容でした。お疲れ様でした。大ヒットをお祈りしています。

この物語、この陰惨な出来事を忘れないと言った鬼太郎とおやじさんの道の先で、「かつて鬼太郎を忘れてしまった誰か」が、きっと再び鬼太郎と出会い、思い出すのだろうと信じられること。
そしてその姿は、「あの影」が何者かを思い出せずとも、鬼太郎を拾い上げたあの男の姿とも重なって。彼らが人を見限りきらない理由でもあるのだろうと信じたくなる、そんなシリーズになったと感じます。