ひっくり返りましたよね。
何にひっくり返ったって78話からしばらく、管理人
ウルトラマンブレーザー 第15話「朝と夜の間に」感想
ブレーザー感想に間に合わせる都合上(ブレーザー感想に間に合わせる都合上!?)某神様のプラモを組みながら見てたんですよ。そしたら7クール目開始の78話がどストレートに、
- 遊飛以外は誰も気づかない明らかにおかしくなった世界
- 虚構と現実の狭間において虚構を信じることには何もおかしくないと言い始めるユウディアス
- カオス化した状況に各人が気付くと『ガラスのようにひび割れて』真実が見えるようになる
という……春先に見た気がするし今週BDが届く予定の何かを思い出すような内容で…………。
もちろんこういうシチュエーション・作劇やそれに伴う演出は定番のものであり(ざっくり考えただけでグレンラガンのあるエピソードが思い出されますし、あれを当時見た時点で「ベタな展開を真正面からやってるなあ」と思った記憶があり、つまりあれよりもさらに前に何作も見ているわけで)別に直接的に参照したわけではない、たまたまタイミングが被っただけだとは理解できてるんですが、こう……奇跡的な被りってあるんだなっていうか……。
あとそもそもの話として、先週も触れた通りゴーラッシュ自体が時折ウルトラシリーズを強烈に思い出させてくるという事情もあります。
78話でクァイドゥールが(意識的にせよ無意識によるものにせよ)作った認識を歪ませる仮想空間であることに気づいた上での続く3話がまた3者3様、「指摘を受けてもその指摘を全く認識できない」マナブ、「薄々気づいているがその甘い夢から逃れられなかった」ザイオン、「当たり前のように気づいている上にそれを言ってこない」アサカ組(→ユウディアスの現状の問題点の指摘)という見せ方が妙に丁寧でゴーラッシュっぽいな……と思わされるところでした。マナブ、ガクトとどうしても比較してしまうので結構割を食う役割になってるよなと思うことが多いのですが、他モンスターのステータスの参照・裏側守備によるリセット・ニャンデスターの番外戦術と、デュエル内容そのものがクァイドゥール時空の問題点・解決法を示唆するような戦闘だったのはなんか彼っぽい役割だった気がする。
そんでもってザイオンですよザイオン。デュエル内容はもとより「そりゃ君そんな状況になったら絶対帰ってこれないだろ……」みたいな夢を見せられてしまって、それでも(デュエルで負けを認めたから、という部分があるとしても)これは本当に自分が成し遂げた成果ではないのだ、と認めた上で多田野曜平さんの声した秘書さんに別れを告げられる流れ、その甘い夢の象徴として彼が思い出す映像があまりにもトンチキ(あのCMって全部元ネタあるんでしょうか!?)なことを踏まえても意味のわからない感動を覚えてしまって衝撃だった。こんなんリンクスでセバスチャンが実装されただけで泣いてしまう可能性があるよ。喋って動く椅子が実装されただけで泣き始める視聴者は事情を知らない人たちに心配されるだろ。
これ、どれだけ外から見ると滑稽なものに見えても当人にとっては重要な・大切なものであって、それを弄んでいるクァイドゥール時空そのもの(クァイドゥールの意志が全てに反映されているかはとりあえず置いておくとして)はどれほど可笑しく見えても悪意の塊なのだ、という意味にも見え、おかしいとは思いつつ感心してしまいました。あとどうしても流れが流れだから
雨宮哲作品だと最大の悪徳だよなこれ……とも思ったりした。夢だから目覚めるんだよ……。
アサカ戦は打って変わって「当人たちはすでに全然正気(『たまにはそういうこともある』程度の理由でキャラデザがブレるの、あのメンツっぽくてズルさがすごい)であり、むしろユウディアスの側が問題の本質に気づいてない」という展開の見せ方に感心してしまいました。実は表面上では正解を選んでるから気づけないだけで、マナブとユウディアスの状況はあんまり変わらない、その問題点に気づけないとこの時空問題って解決しないんじゃないの?という視点は「クァイドゥールの内面に触れはしたけど理解できていない(?)」という話に繋がってくるのだろうかとも。それはそれとして前半のあれで気づけっていうのは無理じゃない?とは思う。
おそらくまたクール締めまで単発で状況を整理していく回が続きそうなので、週ごとに書くかは分かりませんが、そもそもクァイドゥールの意思に到達するまでをどう見せるかが結構気になるクールだな……と感じています。舞台立てがもう好きになってしまったので楽しみ。