本日、仮面ライダーガッチャードが最終回を迎えました。
今更管理人が言うまでもないことかとは思いますが、小難しくも暗くもなく、しかし浅いわけではなく、平易でわかりやすい筋立て・語り口でありながら、しかし安直なわけでもない。「正道な青臭さ」というのが相応しい、とても爽やかで力強い作品でした。
追いかけながら感想を書けていたわけではないのですが(2023年内はタイッツー、2024年に入ってからはblueskyで放送直後に触れてはいた)この終わったタイミングで管理人的に触れておきたい、嬉しかった部分や感心した部分について、ちょっと買いておきたいと考えて記事を用意しています。
あ、物語上の展開だったりキャラクターの描き方だったりを主眼とした、いわゆる感想記事とはちょっと違うものになりそうなので、その辺はご期待しないでください。
それから、最終的には絶賛につながる話ではあるのですが、その過程で割と厳しい事も書くので、「ガッチャードって頭から終わりまで最高だったよね!」という方にはあまり嬉しくない言説になるかもしれないことも、またご了承ください。
それでは。
まず1点目。ギアの入り方と、そこからの追い上げ方が見事だったという点。
多分もう覚えていらっしゃる方いないと思うのですが、管理人、ほぼ1年前に
この記事の最後(および同日に書いた本ブログの記事内)で、妙に意味深な発言をした挙句、結局放置しているんですよね。
この時、何を書こうとしていたかというと、実は
「長谷川圭一先生と内田裕基さんがメインライターを担当する仮面ライダーが始まった!」
という、つまりガッチャード開始に期待をかける記事を書きたかったんですよ。
にも関わらずやらなかった。今だからこそ言えるのですが、その理由は「1話を見た段階では、何を書いていいかわからなかったから」なんです。すっごい端的に言うと、「ガッチャードという番組がどこを向いているのかが全然見えなくて、何も書けなかった」。
正直、この状況は4話まで続きました。その頃のガッチャードって、とにかく
「今回の仮面ライダーはこんなやつでこんな能力です」「こういう敵がいます」「ヒロインの動機はこうです」etc...
……非常にざっくり言うと、「何をやらなきゃいけないか」ばかりをやっていて、「この番組は何を見せたいのか」が置き去りになっていた、少なくとも管理人にはそう見えました。なもんで、管理人的にすごく重要で期待していた長谷川先生と内田さんのタッグという組み合わせでも、何に触れていいのかさっぱりわからなかったんです。これはここ10年ほどライダー感想を(意図的に)書いてこなかったのもそれなりに大きいかも、とはいえ。
明確な転機は5話、レスラーGの回でした。
このレスラーGと旭さんの回って、変だ変だと言われがちですけども(というか、要素や絵面を見ると確かに変な部分は多いんですけども)管理人は正直そう思ったことがほぼなくて。
それはなぜかというと、「それまでの4話分に出てきた野生の悪人や冥黒の三姉妹だけではない、単なる(善良な)一般市民である旭さんとケミー・レスラーGの交流」を1軸としてちゃんと据えて、そこに宝太郎たちが絡んでいくことで、それまでは宝太郎やアカデミーの中で(だけ)完結していた宝太郎の指針、「ケミーと友達になる」ひいては「人とケミーが共に生きられる世界を作る」という大目標が確たる質感を持って現れて、それがひいては「この番組が目指すもの」=「『仮面ライダーガッチャード』がやりたいこと」として、改めて提示された、すごく重要な回だったからです。
(あと「長谷川先生が書くこういう回めちゃめちゃ懐かしくてめちゃめちゃ見たかったやつだ!!」という個人的な感覚もありましたが、そこは一旦置いておく)
ここで今一度足場を固めた、まさにギアが「ガッチャと」噛み合ってからのガッチャードの追い上げは、本当に目を見張るものがありました。全てに触れていくと長くなりすぎてしまうので省略しますが(一回やろうとしてちょっと大変なことになった)1年モノの特撮ヒーロー番組が持つ様々な要素を、宝太郎のこの指針をブレさせずに絡み合わせることで、いつであっても、どれほど厳しい展開を用意しても、その根底に「仮面ライダーガッチャードらしさ」、明るさ・前向きさ・若さを感じさせる作風を感じさせる、見事に骨太な作劇を成立させていたと感じます。
もう1点。これはかなり管理人の個人的な感慨で上でも書いた点ですが、「長谷川圭一先生と内田裕基氏が共同でメインライターを務める仮面ライダー」が生まれ、そして何より、その本作がものすごくいい作品になってくれたこと。
ここを読んでいるような方に長谷川先生の経歴や功績に関して語る必要はないと思います(知らない人は調べてくれれば情報だけならすぐ出ます、こんなところを読んでいる場合ではない、さあ!!)けれど、なぜ内田さんとの組み合わせがそんなに嬉しいのか。
これは内田さんご自身もSNSで幾度も触れていることで、管理人が言うまでもないことではあるのかもしれませんが、近年では東映特撮や各種アニメ作品の印象が強い内田さんですが、ご本人がまさにTDG直撃世代で、子供の頃から長谷川先生(を含む脚本家)の書かれた脚本による番組を見ていたことを知っていたから。
そしてもっと言うと、そんな「若手脚本家・内田裕基」が商業作品で初めて脚本を担当されたのは、ウルトラマンXの第12話「虹の行く先」でした。
つまりティガ第22話「霧が来る」で脚本家としてのキャリアを始めた長谷川先生と、Xの重要エピソードでデビューされた内田さんという、「これ仮面ライダーで先にやられちゃっていいのか!?」という、正直悔しさまで感じるタッグだったからなんですね。
(……で、なんでそんなことをわざわざ知っているかというと。管理人、内田さんと全く同じ年齢な上にXの放送当時ものすごく注目していたので、その後にウルトラマンでのお仕事からはほとんど離れてしまっても気にかけていたからなんですね……。仮面ライダーセイバーの時に参加された時超ビックリした。あと読み返してみたらX放送当時って管理人の坂本浩一監督不信がかなり強かったので今読み返すとめちゃめちゃに警戒していることにもビックリした。そういえば警戒心を解いたのはジードの頃だった……)
この組み合わせ自体がすでにそれなりに嬉しい……というのを前提として、なおのこと良かったのは長谷川先生が序盤から持ち味を活かし、人とケミーの交流や「守るべき人からの声を受けて立ち上がるヒーロー」という土台をしっかり固めていった上で(その一種の結実点が劇場版であったとも感じます)、終盤に行くにつれて輝かんばかりの宝太郎の若さを描く内田さんの担当回の比率が増え、最終回をしっかりと描ききられたこと。
これは放送開始しばらくの時点で出ていた話(例えばここなどでは改めて触れるという体で話をされています)ですが、そもそもガッチャードはメインで担当することになった湊Pが最初に内田さんと組んで始めたものの、ご両人ともに「仮面ライダーのメイン」を担当するのが初めてだったのもあり苦戦していたところ、噂を聞きつけた長谷川先生(『仮面ライダーのメイン』はやったことがなくても『違う特撮作品のメインライター』は複数回経験済)が助けにきた……という経緯だったそうなので、長谷川先生が頭から終わりまで……ではなく、並走しながらも後半の重要回の比率が変わっていき、最後には内田さんにバトンを渡される、というのはすごくいい回し方だったと感じています。
すごく個人的な見方になりますが、中盤の山場「巨悪に立ち向かい、奪われた仲間たちを取り返す」プラチナガッチャードの初登場回は長谷川先生の担当である一方、「哀しみに打ちひしがれ、閉じた世界で守られてもいいと言われながらその殻を自ら破る」レインボーガッチャード初登場回は内田さんが書かれている、という2本のパワーアップ形態の登場回が両者ともに抜群に素晴らしく、そして方向性がしっかりと異なる……というのが、本作においてお二人がタッグを組んだすごく大きな成果だったように感じます。
このお二人ばかりに注目してしまうのですが、長谷川先生・内田さんに加え、あの井上亜樹子先生も途中からサブとして参加し、主にりんね・アトロポスの組み合わせの回を担当されながら、バラエティ豊かな回を作っていただけたのもまた嬉しいポイントでした。井上女史で仮面ライダーというと「井上敏樹氏の娘」という要素で見られてしまいそうなところですが(というか、ごく初期は実際そういう視点が多かったのですが)過去にはゲゲゲの鬼太郎6期での担当回をはじめとした確たる筆力、そして父上とはまた違う方向性によるホンの魅力に気付かなかった視聴者はいないでしょうから、今後は単純に実力あるライターさんとしてまた東映特撮に参加されることになるといいですね。
最終三部作が、井上女史→長谷川先生→内田氏、という「ガッチャード全部載せ」な構成だったことは、このお3方がガッチャードという作品を作り上げてきた証左だったと言い切っていいのではないかと感じます。
あとまさかの田口監督起用とか坂本浩一の旨みだけを抽出したかのような担当回の割り振りの見事さとか、そもそもこの舵取りを初めてのメインPでありながらとりきった湊Pへの賞賛、今後の期待とか、色々書きたい点はあるのですが、もうそろそろ長くなってきたので……。
ガッチャードの放送が予告され、「Pは今回初めてメインを担当する湊氏!」「メインライターはこの2人!」という話を聞いた時、正直様々な要因で東映特撮に対する期待値がかなり下がっていた(実際当時の番組は見ていなかった)のもあって、単独では魅力的に捉えられる点でも結局どうなるかわからないよなあ……と感じていたのが、正直な感覚でした。
そのそこそこの諦めを踏まえて、率直な印象として「ひたむきに真面目に、でも東映特撮であることを忘れずに」走り続けた、湊Pをはじめとするガッチャードスタッフ・そしてキャストが届けてくれたこの1年間。初めに書いた通り序盤の頃は掴みきれていませんでしたが、正直「東映特撮ってまだ面白いのかも」と(途中から並走し始めたブンブンジャーも合わせて)思えるようになったのは、少し癪な誤算で、でも見事な仕事だったと感じます。
長谷川先生と内田さんに関してはもう十分書いたかな、と感じるので。
最初にこんなとんでもない作品作っちゃうと、「これを越えなきゃいけない」ことへのプレッシャー、相当なものだと思いますけども。
次に湊Pがメインを担当される作品、とても楽しみにしています。
では、この記事はこの辺りで。